セグトラ(1230〜1262)

1252年に評議会委員となる。
しばらくは優れた内政能力を活かし、国力の増強に努めるが、カルスケートの戦いの開始と共に共和国第6部隊の指揮をとる事になる。
前線では、副官の助けも有り意外な働きを見せる。
ノースティーライナの戦いまで、前線にて指揮をとっていたが、フェルグリアの戦いの際に両足に重症を負い車椅子の人となる。
ラヴェリア事件の後、数日間姿を消すが行き先を知る者はいない…。

1257年、ガイ・アヴェリの内乱の際にレディスに呼応、首都内部にて暗躍する。
数々の謀略をめぐらし、果ては暗殺者まで雇ったというが真偽は明らかになっていない…。
ただ、この時彼の指揮下で暗躍していた者達は、内乱鎮圧後に口をそろえて言ったという…彼が恐ろしい…と…。

レディスの議長就任後はレディス派議員の一人として活躍するが、1260年8周期に突如辞任する。
理由も述べずに去る彼を引き止める声は多数あったが、彼が意思を曲げる事はなかった…。
同年10周期…足の傷が元となり病にかかる。
その後は入退院を繰り返す闘病生活が続いていたが、1262年10周期4日…息を引き取った。
死の間際…彼はこう言い遺している…。
「私は金棒のようなものです…鬼と共にある時が…最も充実していた…。」
享年32歳…その死は安らかなものであったといわれる。